【なぜ生きるのか】存在していることの不確かさと神秘性に触れる

こんにちは、あやりです。

誰もが一度は考えたことのある問い、「なぜ生きるのか」。

人類の歴史が始まってから今日まで、ずっと考えられてきた疑問です。

今でもその謎は解けることはなく、恐らく今後も分からないままでしょう。

そう、生きている理由を知っている人はこの世に誰一人いません。

生きている理由は分からないけれど、生き方は自分で決めることができます。

自分なりの生きる目的を決めることができますし、意味を見出すことができます。

(その方法は、次回の記事で書いていきますね。)

今回は下記の方々向けに、いくつかの説をご紹介しながら、

私たちが存在していることの不確かさと神秘性に触れていきたいと思います。

・生きる意味を考えるのに疲れた人

・生きている不思議を味わいたい人

・生きている理由を考えたい人

深い意味を考えるより、今の不安な気持ちに対する具体的な対処法がほしいという方は

よろしければ、こちらをご覧くださいね。

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世界秒前説

「世界は1秒前にできた」という説です。私たちの過去の記憶はすべて作られたものであるというもの。(…いきなりすごいのを出してすみません。)

初めてこの考え方を知ったときの衝撃は今でも忘れられません(笑)

いろいろと矛盾点もある気がしますが、可能性はゼロではありません。

私たちは、「今」しか感じられませんし、なぜ生きているかという根本を知らないからです。

でもこの世界が、たった1秒前にできた世界だとしたら、かなりよく出来ていますよね。

巨人の細胞説

私たちの身体には、細胞が無数にあります。(およそ37兆個といわれています。)

身体の中で細胞たちが、知らぬ間に頑張ってくれていますよね。

仮に、細胞に意識があったとしても、自分たちがどこにいるかは一生分からないはずです。

「人」という概念がない場合は、認識することも出来ないからです。

同様に私たちも、私たちよりも大きい人(巨人)の身体の一部であるという説です。

もしかすると、巨人ではなく、私たちが認識もできない物体かもしれません。

私たちは、認識できる範囲しか理解できませんし、想像することもできません。

でも、巨人の外側にはまた巨人がいるとしたら、その先はどうなっているのでしょう。新たな疑問が生まれてしまいます。

私たちは何かの一部なのでしょうか。

人生は暇つぶし?

言葉の表現の良し悪しはさておき、「人生は暇つぶしだ」という人もいます。

そう仰っている方は「生かされている」という考え方をされているのだと思います。

自分で手を挙げて「今から生きます!」と宣言して生まれた人はいないはずです。(もしかしたら記憶がないだけかもしれませんが…笑)

この「人生は暇つぶし」という言葉をプラスに読み取るとすれば、

気が付けば生きていた」けれど、「生き方は選べるということです。

これはある意味、かなり重要なことではないでしょうか。

夢オチ

よく物語でありますね。

私たちは、ほぼ毎晩夢を見ます。(見ない日もありますが)

昨日の夢を思い出してみてください。

夢なのに、起きているときと同じように、動いたり、しゃべったりしていませんか。

つまり、脳にはそれができるのです。

身体は動いていないのに、「走っている」と感じたり、実際には何も食べていなくても「食べている」と感じたり。

今見ている世界は、あなたの脳が作り出したものでしょうか。

でも、世界は複雑すぎて(すべては思い通りにいかないし、人間関係も複雑だし…)、

もし全部が作り物だとしたら、どんなに賢い頭なのだ!

パラレルワールド説

この世界のどこかに同じような世界があって、もう1人の自分がいる…

考え出すと少し怖いですが、よく映画などであるのは、

ビルの中のドアなどが、違う世界への入り口になっているというものです。

そう考えると、私たちは知らない間に色々な世界を行き来しているのかもしれませんね…

最後に

生きているって不思議です。深すぎて、考えるほどに深みにハマってしまいます。

謎が解き明かされていない分、どんな可能性もあるといえます。

あなたの納得する答えはないかもしれませんが、

大事なことは今、あなたは存在しているということです。

この世界は謎だらけですが、それだけは事実です。少なくとも、意識を持っています。

それは、あなたがどんなふうにも生きられるということです。

生きている理由は分からないし、気が付けば生きていた。けれども、生き方は自分で決めることができる。

生きていることはこんなに不思議で神秘的。まさに奇跡です。

だからこそ常識にとらわれずに、自分なりの生き方を考えていきたいですね。